アートマガジン『InfoMart』

インタビュー

小山実稚恵【2021年7月24日 公演】

所沢ミューズで20年以上にわたり数々の名演奏を繰り広げてきた名ピアニスト小山実稚恵が、満を持してオール・ベートーヴェン・プログラムを取り上げる。ベートーヴェンの音楽との出会いや、晩年のソナタに寄せる想いを聞いた。

小山実稚恵[ピアノ]

小山実稚恵イメージ

運命の出会い!? 小学校1・2年生の頃だと思いますが、自宅にあった名曲全集のレコードでベートーヴェンの音楽に出会いました。名曲全集にはアルゲリッチ、エッシェンバッハ、ヴァーシャリなど、いろいろなピアニストの演奏で様々な名曲が収録されていましたが、ベートーヴェンは確かウィルヘルム・ケンプの弾くピアノ・ソナタ名曲集が入っていたと思います。でも、それよりは交響曲の壮大な響き、オーケストラの様々な楽器の音色、ドラマティックな音楽に魅了されたのを記憶しています。特に交響曲第5番「運命」のフィナーレには驚きました。この和音で曲が終わるのだろうなと思ったら、そこから和音やフレーズがさらに繰り返され、なかなか終わらない(笑)。子ども心にも、ベートーヴェンの意志の強さ、頑固さ、不屈の精神といったものを感じました。ソナチネ・アルバムに入っているベートーヴェンのト長調のソナタも演奏しましたが、「運命」のフィナーレの印象のほうがずっと強烈でしたね(笑)。

初のベートーヴェン・アルバム ベートーヴェンの生誕250 年のメモリアルイヤーである2020 年にピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」をレコーディングしました。私にとって、初めてのベートーヴェンのソナタの録音ですが、全32曲のソナタのなかで最大の難曲である「ハンマークラヴィーア」を選びました。音楽的にも、テクニックの面でも、また精神的にも、ピアニストにあまりに多くのことを要求する作品ですので、もう何年か経ったら今のようには弾けないかもしれないと考え、あえてこの難曲に挑戦しました。
「ハンマークラヴィーア」は40分を超えるような破格のスケールもさることながら、猛スピードで展開する複雑なフーガや重厚な和声のなかに、信じられないくらいに多彩な楽想が書き込まれていて、それぞれのフレーズを1人のピアニストが的確に描き分けるのは本当に大変です。ピアニストの限界を超える表現といい、当時の最新のピアノの限界を超えるような広い音域といい、おそらくベートーヴェンはピアノ音楽の未来の姿を予言的に描こうとしていたのではないでしょうか。

後期三大ソナタ第30・31・32番 「ハンマークラヴィーア」の後にはこれしかない! と思い、ベートーヴェン・アルバムの第2弾は《後期三大ソナタ第30〜32番》を録音しました。CDのリリースは6月ですが、7月には所沢ミューズのアークホールでのリサイタルで、晩年の傑作ソナタを演奏できることを楽しみにしています。
後期三大ソナタは「ハンマークラヴィーア」とは全く趣を異にしています。余計なものをそぎ落としたある種のシンプルさの中で展開されるベートーヴェンの世界。晩年に到達した音楽的な境地が、後期三大ソナタには余すことなく示されています。晩年の作品の特徴として「フーガ」と「変奏曲」の2つが挙げられると思いますが、本来はどちらも規則や制約の多い形式です。しかしベートーヴェンはその制約の中で、自由な世界、果てしない世界を築きました。楽想が溢れ出るようなみずみずしいフーガを繰り広げながら、立体的な音楽を作り上げ、そして変奏曲では主題の制約を超えて、音楽を自由に飛翔させてしまう…。
第31番の終楽章の有名な「嘆きの歌」は、嘆いてはいるけれど、決して恨んだり怒ったりすることのない浄化された感情で、だからこそフィナーレの希望に満ちた賛歌に至るのだと思います。そして第32番のフィナーレ!! 壮大な変奏曲から次第に響きが浄化され、澄み切った高音が天空に吸い込まれるように曲を閉じます。ベートーヴェンは、この後亡くなるまでの約5年間、新しいピアノ・ソナタを発表しませんでした。そのことを考えると、ベートーヴェン自身、ピアノ・ソナタの領域では、音楽的なすべての願いが叶えられたという気持ちがあったのではないかと思うのです。

【2021年7月24日 公演】

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