アートマガジン『InfoMart』

インタビュー

南こうせつ【2021年1月30日 公演】

国民的ヒット作ともいえる楽曲の数々を世に送り出し、2021年にデビュー52周年を迎える南こうせつ。いまなお多くの人々の心に輝きを放つ、優しく哀愁を帯びた歌声の原点「神田川」。その名曲の大ヒットの秘話から休日の過ごし方まで、気さくに語ってもらった。

南こうせつ コンサートツアー2021

南こうせつイメージ

大分県で過ごした幼少期フォークソングとの出会い 小さい頃に過ごした大分では、家の前に大きな川がありました。思い出深いのは、その河川敷で鬼ごっこをしたり、野球をしたり、暗くなるまで遊んでいたときのことです。あたり一面に月見草の花が咲いて、まるでライトアップされたディズニーランドのようでした。その頃は薪でご飯を炊いてお風呂を沸かしていたので、どの家も煙突から煙が上がり、日本昔話の風景でした。ギターと歌を始めたのは、学校の夏休みのキャンプでギターを弾きながら歌ったとき。みんなが一緒に大声を出して歌ってくれて、口々に楽しかったと言ってくれました。あのときの感激はいまも忘れられません。その経験からも、やっぱり歌はライブが一番だと思っています。それからキングストン・トリオの「花はどこへ行った」を聴いたとき、いままでの歌にはなかったメッセージソング、つまりプロテストする歌詞にすっかり虜になり、フォークソングを始めました。グループで歌い、演奏し、ハモる楽しさは忘れられません。

輝かしいキャリア「神田川」大ヒットのきっかけ アメリカがフォーク全盛期の1970年にクラウンレコードのオーディションに合格し、デビューしました。すぐにシングルレコードとして発売されたのですが、買ってくれたのは親、親戚、友達だけで、全部で250枚くらいのセールスでした。プロは厳しい。洗礼を受けました。そして1973年、かぐや姫のLPレコードのB面に入っていた曲「神田川」を、僕が担当していたTBSラジオのパックインミュージックでオンエアしたところ、とんでもない数のリクエストハガキが来まして、レコード会社は慌ててシングルレコードにして発売しました。あっという間にミリオンセラーになって、何が起こっているのやら、僕を取り巻く周りがザワザワしてびっくりしましたが、この歌が僕の一生を左右する歌となりました。皆さんには心から感謝します。

ジョン・デンバーとの共演 いまに至るまで数々のコンサートで演奏してきましたが、なかでもジョン・デンバーとの共演が印象深い。1983年6月には、フジテレビ系列のミュージックフェアでジョンと「カントリー・ロード」をデュエットしました。本番1分前に「お互いのギターを交換しよう」と言われ、「リードギターはこうせつがやれ」と突然の無茶振りに緊張するやら嬉しいやら...。楽しかったです。その後ジョンとは親交を深め、翌年に琵琶湖で行われた「世界湖沼会議」の前夜祭でジョンとともにライブを行いました。また、1990年にはジョンとのデュエット作品「岩を砕く花のように」という作品がCD 化され全米でも発売されました。ほかにも自分の音楽活動のなかで影響を受けたアーティストといえば、ポール・サイモンと吉田拓郎、ザ・フォーク・クルセダーズです。

オフの日は緑に囲まれて 音楽活動の日々ですが、休みの日には緑が溢れる場所で風に吹かれながらのコーヒータイム、またはシャンパンタイムを味わうことが好きです。庭の草刈りが終わった後を眺めると心がスッキリとして、その後のビールタイムも格別です。今年に入って新型コロナウイルスの影響でいくつものコンサートが中止となってしまいましたが、自粛期間中は毎日朝から晩までガーデニングと畑仕事を楽しみ、張り切りすぎて腰を痛めてしまいました。緑と土と触れ合う時間は、何よりも自分を見つめ直すいい時間になりました。

久しぶりの所沢ミューズ 以前にも所沢ミューズのアークホールで歌わせていただきました。アークホールは音がとてもアコースティック向きのような印象がありました。ずいぶん前のことなのですが、とても温かい雰囲気でした。2021年1月のコンサートでも、皆さんにお会いできることが楽しみです。デビュー52周年を迎えるいま、シンプルにあるがままに歌います。

【2021年1月30日 公演】

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