ゲルハルト・オピッツ【2014年3月23日 公演】
ピアノ・シリーズ「ベートーヴェン・スペシャル」の最後を飾るゲルハルト・オピッツ。
ドイツ・ピアノ音楽の伝統を継承する巨匠として尊敬を集めるピアニストのルーツと素顔に迫りました。

ドイツ・バイエルン州での幼少期 とても好奇心旺盛な子どもだったようです。家にピアノがなかったので、ピアノが弾ける人が羨ましかったですね。5歳の時に初めてピアノを買ってもらいました。
この頃はバッハ、ハイドン、モーツァルトが中心でしたね。でもピアノの練習は1~2時間、あとは森へ行ったり木登りをしたり友達と遊びました。いろいろなことに興味がありましたから、15歳の頃に音楽の道を決意するまでは、数学や物理、化学の道もいいなあと思っていました。両親も英才教育をするわけでもなく、普通の小学校に通い普通の生活を送っていましたし、現在まで病気や深刻な問題に直面することもなく、気持ちのいい人生が送れていることに感謝しています。
デビューの思い出 11歳でモーツァルトの協奏曲を演奏しました。ステージでほかの音楽家と演奏をするのが楽しかったですね。ピアノ協奏曲第20番にはモーツァルトのカデンツァがないので、自分で作曲したカデンツァを弾きました。それがどんなものだったか忘れてしまいましたが……(笑)。この曲にはベートーヴェンが書いた素晴らしいカデンツァがあるので、いまはそれを弾いています。
ステージでは緊張したり怖いと思ったこともなく本当に楽しかった。いまでは演奏前に曲の構造や雰囲気などあれこれ考えますが、あの頃は自然に、いとも簡単に音楽を楽しむことができました。モーツァルトの音楽には、無邪気な子どものほうが表現しやすい部分があるのですね。
ケンプとの出逢い 南イタリアにあるケンプの家でのレッスンには多くの思い出があります。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはすべて勉強しましたし、特に印象深いのはベートーヴェンのすべてのピアノ協奏曲を勉強したことです。ケンプがピアノでオーケストラ・パートを弾きながらのレッスンは素晴らしいものでした。
ケンプは、その頃すでにヨーロッパで最も有名な演奏家でしたが、非常に謙虚で礼儀正しく、教養溢れる人でした。若い人からも何かを吸収しようとする柔軟な発想の持ち主で、文学や自然科学にも精通していました。私にとって「精神的な父親」と言えるような特別な存在です。20歳のときにケンプと出逢ったことはとても幸運なことでした。その頃にはテクニックの基礎はできあがっていましたが、ケンプは目、耳、心、頭のすべてを開いてくれ、音楽の持つ詩情の世界の素晴らしさへ導いてくれました。それと、妻の洋子と出逢ったのもケンプの家でした。その頃はお互いレッスン曲を練習するのに忙しくて、お付き合いするなどとは思っていなかったのですが(笑)
40年間の輝かしいキャリア 1977年にルービンシュタイン・コンクールで優勝してから今日まで40年間、素晴らしい共演者に恵まれてきました。
ブラームスの2つのピアノ協奏曲をジュリーニと演奏したのは忘れられないですね。ジュリーニは、音楽に様々な要素が入ってくる間合いと余裕を持った、とても懐の深い音楽家です。サヴァリッシュも理想的なパートナーでした。リハーサル後に2人して楽屋でピアノを弾きながら議論しました。彼のピアノは神のように素晴らしい! 彼の最後の日本公演で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を共演しました。そのとき「昔のようには全然弾けないけどね」と言いながらピアノを弾いてくれましたが、下手なピアニストよりよほど素晴らしいピアノでしたよ(笑)
演奏を支える手 私の手を見たら誰もピアニストの手だとは思わないでしょう。指も長くないですし、リストやラフマニノフのように大きな手ではないですから(笑)。しかし「ド」から「ミ」までの10度が届きますし、よく動き、また鍵盤にどの程度の圧力をかけるか、その繊細さを感じることができますから問題のない手だと思っています。頭のなかに表現したいものがしっかりあれば、十分に指が表現してくれますよ。
ベートーヴェンのソナタの世界 ベートーヴェンのピアノ・ソナタには、作曲家の個人的で内的な感情、豊かで深い思想がすべて反映されています。ピアノはベートーヴェンが幼い頃から親しんだ最も身近な楽器ですから、ピアノ・ソナタには彼の人となりが如実に表れています。交響曲が何千人もの人を前にした「演説」だとすれば、ピアノ・ソナタは「日記」のような性格を持っていると言えるかもしれません。
「第3番」「悲愴」「月光」「テンペスト」 所沢ミューズで演奏するのは、ベートーヴェンが25~32歳にかけての作品です。まだ若く、あらゆる可能性に満ちていた時期の曲です。ピアノを弾き、指揮もして、どんどん有名になり、多くの貴族と知り合い、支援を受けて経済的にも安定していく時期です。
この時期の作品には「人生の華」と言えるような幸せな雰囲気を感じます。その後、聴覚の障害によって幸せが長くは続かなかったことは皆さんもよくご存じだと思いますが、特に第3番のソナタは、人生を謳歌する喜び、遊び心に溢れています。
所沢ミューズの素晴らしい響きのなかで演奏することをいまから楽しみにしています。
【2014年3月23日 公演】