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インタビュー

フジコ・ヘミング(ピアニスト)【2020年6月20日 公演】

所沢ミューズに度々登場し、慈愛に満ちた演奏で絶賛を巻き起こすフジコ・ヘミング。1999 年のNHK のドキュメンタリーで大反響を呼んでからすでに20年。聴き手を魅了してやまない魂のピアニストの音楽のルーツと、苦難をものともしない人生哲学に迫った。

フジコ・ヘミング[ピアノ] ボン・べートーヴェン交響楽団

フジコ・ヘミング(ピアニスト)イメージ

ピアノとの出会い ~音楽、そして母への想い~ スウェーデン人の父と日本人の母はベルリンで出会い、私と弟が生まれました。私が5歳のとき、家族で日本に戻り東京で暮らし始めました。母はピアノを身につければどこでも生きていけると考え、私にピアノを教えましたが、とても厳しい人で「こんなこともできないんだ!」といつも怒鳴ってばかり。戦前のことでしたので、母も外国人の血が入った子どもを育てるのはとても大変だったんだと思います。音楽や曲のことは全然覚えていないけれど(笑)、おとぎ話のような挿絵が入ったきれいな楽譜を見るたびに胸がワクワクしましたね。

クロイツァー先生との想い出 私の子どものときからの師、レオニード・クロイツァーはいまでもロシアなど世界中の人が尊敬する大物です。
あれほど素晴らしい先生は、留学したベルリン芸術大学にもいませんでしたね。小学生のときショパンを弾いたら、クロイツァー先生はおどりあがって喜んで「この子はいまに世界を感動させる」と母に言っていました。機械的に弾くのではなく「ピアノで歌いなさい」と先生は教えてくれました。そして、たくさんの曲を私の前で弾いてくれました。クロイツァー先生との時間は、いまでも私にとってとても大切なものです。

ヨーロッパ留学へ ~バーンスタインとの出会い ベルリン芸術大学、そしてウィーンに留学したとき、母は苦しい生活のなかでも仕送りを続けてくれ「私は塩を舐めてでも、あなたに勉強させる」と手紙に書いてあり、眠れなくなるくらい申し訳ありませんでした。世界的な名指揮者バーンスタインがウィーンに来ることになり、なけなしのお金でチケットを買い、勇気を出して手紙を渡したら、バーンスタインはそれを読んでくれて、楽屋で私の演奏を聴いてもらうことができました。何曲か演奏すると、バーンスタインは私を抱き寄せて「君は素晴らしい! 力を貸そう!」と約束してくれました。街中の大きな柱に私のリサイタルのポスターが貼られ、夢のような気持ちでしたが、直前に風邪をこじらせて左耳が聞こえなくなってしまい、そんな状態でのリサイタルはもうめちゃくちゃ。翌日からはもう弾けませんでしたね。

苦難を乗り越える人生哲学 せっかくバーンスタインが応援してくれたのに、あのとき風邪をひかなければ…と思うこともあるけど、ピアノも人生も「少しくらい間違えたっていい、完璧じゃなくてもいい」というのが私のポリシー。演奏だって、ちょっとくらいミスがあったって温かみのあるほうがいいんじゃない? 正確なのがいいなら機械に弾かせればいいんじゃないの? レパートリーも少ないと言われることがあって、もっといろんな曲をやればよかったと思うことはあります。でも、世の中には山ほど曲があって、ピアニストも山ほどいるから、欲張らないでそれぞれが得意な曲をやればいいんじゃないかしら。
自分の演奏には自信を持ってきたけど、こんなふうに注目されると思ってなかったし、認められて当然とは思っていません。ミスだらけの演奏の後に「ブラボー!」って拍手されちゃうと、恥ずかしくてその場から逃げたくなりますね(笑)。

モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番 私はモーツァルト弾きだとは思わなかったから、自分には合っていないと思ってほとんど弾いていなかったんです。でもベルリン芸術大学の頃にオーケストラとモーツァルトの協奏曲を弾いたときに、先生から「いやぁ、君はモーツァルト弾きだよ!」と褒められて、「ええ、そうかな?」と思いましたが、よく弾くようになったのはそれからですね。その後、『みじかくも美しく燃え』(1967 年/ボー・ヴィーデルベリ監督)という素晴らしいスウェーデン映画の主題曲になって、すごく感激して大好きになり、ぜひこれを弾こうと思いました。響きの美しいアークホールで、ドイツの名門オーケストラとモーツァルトを演奏するのを楽しみにしています!

【2020年6月20日 公演】

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